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2021-12

2021・12・27(月)ゲルハルト・オピッツのベートーヴェン
~ピアノ協奏曲全6(!)曲演奏会 第1日~

      紀尾井ホール  7時

 「ヴァイオリン協奏曲」からの編曲版を含むベートーヴェンのピアノ協奏曲全6曲を2回に分けて演奏するパワフルな企画。
 ユベール・スダーン指揮愛知室内オーケストラが協演して、今日は「第2番」「第1番」「第3番」という順序で演奏された。

 オピッツのベートーヴェンは、時に面白みに不足するという印象を与えることがあるけれども、あの飾り気のない実直な、ベートーヴェンの音楽にひたすらまっすぐに向き合う剛直な演奏は、やはり独特の味がある。
 所謂「良き時代のドイツのヒューマニズム」なる言葉は、現代から見ればその実体はかなり曖昧なものであることは承知しているものの、オピッツの演奏を聴いていると、それが何となく具体的なイメージと化して立ち現れて来るから不思議だ。良い意味で、最も心やすらかに聴けるベートーヴェン、というところだろう。

 今日のプログラム、これほどの大曲を3曲弾くのはかなり大変なことだと思うし(明日はもっと凄い)、彼も人間、「第3番」あたりになるとさすがにちょっと演奏が荒っぽくなっていたのは仕方がないというか、微笑ましいというか。だがその「3番」でも、「ラルゴ」の第2楽章は絶品だったし、とりわけ「第1番」は、今日の3曲の中では最も充実した演奏だったという気がする。

 愛知室内オーケストラも見事な演奏を聴かせてくれた。
 今回は指揮者にユベール・スダーン(当初の予定ではクリストフ・ケーニヒ)を迎えたことが、あらゆる意味で最大の成功要因だったと思われる。スダーン特有のあの鋭いアクセントによる厳しい構築と明晰な響きは、ベートーヴェンのコンチェルトのオーケストラ・パートをがっしりと構築し、オピッツの音楽を力強く支えていたのだった。
 最後の「3番」では、オーケストラも多少演奏が荒くなってはいたのは事実だが、その一方で、この曲のデモーニッシュな部分を適切に表出していただろう。

2021・12・25(土)川瀬賢太郎指揮神奈川フィル特別演奏会
~オーケストラと歌で綴るヴィクトル・ユゴーの劇世界~

     カルッツかわさき  5時

 ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」を、セリフと音楽で━━それも同名ミュージカルからの音楽だけでなく、他のミュージカルやオペラの音楽をも併用して描き出すという企画で、それも田尾下哲の構成、ということへの興味に惹かれて聴きに行ってみた。

 音楽部分は「ラ・マルセイエーズ」で開始され、ミュージカルから「レ・ミゼラブル」「ジキル&ハイド」「グレイテスト・ショーマン」「ライオンキング」「ラ・マンチャの男」、オペラから「アンドレア・シェニエ」、「ファウスト」(グノー)、「ルサルカ」、「蝶々夫人」からの音楽が使用され、最後はロイド・ウェッバーの「レクイエム」の「ピエ・イエス」で閉じられる。編曲(ミュージカル・ナンバー)は大橋晃一。
 出演は川瀬賢太郎指揮の神奈川フィル(コンサートマスターは崎谷直人)、洗足学園音楽大学ミュージカルコース(合唱)、大山大輔(ジャン・バルジャン)、青木エマ(コゼット)、坂下忠弘(マリウス)、高野百合絵(エボニーヌ)という顔ぶれ。

 ジャン・バルジャンの回想(語り)を中心に進められて行くストーリーは、かなりコンパクトに━━冷酷無情なジャベール警部も登場しない━━まとめられていて、「みじめな人々」を生み出す社会への不条理を告発するドラマというよりも、ジャンの個人的な悲劇の物語といった印象のものに留まってはいるが、それはまあ仕方がない。
 使用されている音楽の選曲は、これもストーリーの本題からは些か離れ、単なる挿入歌と感じさせるところも少なくはないが、それも仕方あるまい。

 そういう理屈っぽい話を持ち出しては、このクリスマスの夜のロマンをぶち壊すことになるだろう。割り切って聴けば、これはそれなりに愉しい構成・選曲だったし、川瀬の情熱的な指揮(幕切れの合唱部分など)と、オーケストラおよび歌い手さんたちの演奏がよかった。
 何より、久しぶりでミュージカルの音楽を「ちゃんとした演奏で」聴けた感がして、私にはこれが何よりも有難かった。どれもよく出来た曲だなと感じ入りながら聴かせてもらった次第である。
 休憩なし、80分ほどの構成。

2021・12・24(金)サントリーホール クリスマスコンサート
~バッハ・コレギウム・ジャパン「聖夜のメサイア」~

     サントリーホール  6時

 鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のサントリーホールにおける「クリスマスのメサイア」は、今回が第21回になる由。私もそのうちの2回ほど聴いた記憶がある。またその他にも、軽井沢の大賀ホールで一度聴いたことがある。

 だが今回は、それらのいずれにも増して、その演奏の美しさに魅了された。とりわけ、若松直美をコンサートマスターとするオーケストラ(19人)の、特に弦の柔らかくあたたかい音色と表情の多彩さ。速いテンポの弱音で音楽が移り変わって行く時の、その快い潮騒のような玲瓏たる響き。
 そして、コーラス(40人)の、清澄で透明で高貴な音色。いくつかの個所では、その響きは、あのスウェーデンの有名な合唱団のそれと比べても遜色はないと思われるほどの高みに達していた。
 鈴木雅明の指揮も、長い全曲を少しの弛みもなく、大河の如き流れを以って構築していた。これもまた(私の主観だが)以前よりも強く印象づけられた特徴だ。

 かように、今回のヘンデルの「メサイア」(1753年版)は、鈴木雅明とBCJの音楽が、ここまでの高みに達していたのだ、と感嘆させられる演奏だったのである。
 今回のソリスト陣は、森麻季(S)、湯川亜也子(A)、西村悟(T)、大西宇宙(Br)。二転三転した結果の顔ぶれだった。BCJの演奏スタイルとは少し異質に感じられる歌い方の人もいないではなかったが、海外アーティストの来日中止も相次ぐ今、こうして優れた演奏の「メサイア」が聴けたことに感謝しなくてはなるまい。

 なおロビーに、「ハレルヤ・コーラス」の演奏の際に、起立したり一緒に歌ったりすることはお控え下さい、という意味の掲示が出ていたのを見て、驚いた。起立云々はともかく、一緒に歌い出す人がいるのだとは、私はこれまで知らなかった。

2021・12・21(火)バッハ・コレギウム・ジャパンのクリスマス

      東京芸術劇場 コンサートホール  7時

 鈴木優人がオルガンと指揮、バッハ・コレギウム・ジャパン(オーケストラ&コーラス)が演奏しての「クリスマスもの」とベートーヴェンの「第9」を組み合わせた演奏会。客の入りも上々。

 第1部では、鈴木優人がオルガンを演奏したり、ステージに戻って指揮したりと、例の如く八面六臂の大活躍。ここでは東京芸術劇場の売り物たる、2面式の大オルガンを回転させるデモンストレーション(?)をも披露して聴衆を喜ばせた。
 また最近注目を集め始めている「ホワイトハンドコーラスNIPPON」━━耳の聞こえない子、目の見えない子らで編成されている合唱団で、合唱と、手の表現で歌う「手歌」のサイン隊とで成る━━も出演した。

 第2部はベートーヴェンの「第9交響曲」。鈴木優人がどんな「第9」を振るか、ということに興味があった。
 結論から言えば、極めてストレートな、イン・テンポの構築で、率直そのものの、屈託のない「第9」だ。魔性的要素の皆無な第1楽章の一方、終楽章は快い昂揚感にあふれる。ピリオド楽器によるBCJのオーケストラの演奏と、合唱とが上手い。

 声楽ソリストは中江早希、湯川亜也子、西村悟、大西宇宙で、これはあまりバランスが良いとは言い難い。この4人の登場のタイミングはかなり遅く、ファンファーレのさなかにバリトンが袖から現れて「その音楽を否定」し、リーダーシップを示して「歓喜への頌歌」のソロを歌い始めた時に他の3人がステージに入って来る、という形。私としては、この演出はわが意を得たり、の感である。

 なおこの第4楽章には、前述のホワイトハンドコーラスNIPPON(指揮がコロンえりか)も加わり、ステージ上手側に位置して、大きな身振りの「手歌」で協演していた。あらゆる人間たちが「歓喜への頌歌」で一つになる、という思想から言えば、これは大いに意義深いことと言えよう。
 ただし、視覚的なことからすれば、論議を呼ぶべきものかもしれない。特にそれが歌詞を手話形式で表現しているのではなく、ダンス的な要素が濃いというのであれば、猶更だ。全曲最後のプレスティッシモの昂揚個所でのように、オーケストラのみで演奏される個所においても、白い手袋をはめた手をダンスのように振り回し続けているというのは、もはや「手歌」の領域を超えてしまうものである。

2021・12・20(月)「わ」の会コンサートvol.7

      渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール  6時

 「わ」とは、ワーグナーの「わ」、和するの「わ」、「ニーベルングの指環」の「わ」とかなんとか、いろいろな意味を持つのだとは、すでに何回か書いた。要するにこれは、ワーグナーを愛するプロ・オペラ歌手集団が、ワーグナーの作品を定例的に小規模な形で演奏する、というムーヴメントなのである。会の代表は指揮者の城谷正博。

 今回は「挑戦」と題して、これまでよりも規模を拡大し、5作品から、それも演奏会などではあまり取り上げられないような場面の音楽を、延べ11人の歌手が歌うという企画が採られていた。
 演奏されたのは「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ラインの黄金」「トリスタンとイゾルデ」からの、それぞれかなり長い一つの場面。

 出演歌手と役どころは、河野鉄平(オランダ人)、大塚博章(ダーラント、ヴォータン)、伊藤達人(舵手、ダーヴィット)、池田香織(オルトルート)、大沼徹(テルラムント)、岸浪愛学(ヴァルター、ローゲ)、友清崇(アルベリヒ)、片寄純也(トリスタン)、中村真紀(イゾルデ)、郷家暁子(ブランゲーネ)、新井健士(クルヴェナル)。ピアノが木下志寿子と巨瀬励起、指揮が城谷正博、解説と字幕が吉田真。

 ベテランからフレッシュ世代まで、ここぞ聴かせどころとばかり熱唱を披露するガラ・コンサート的なワーグナー。これも面白い。
 ただ、この会場が演劇や伝統芸能などにも使われる多目的ホールのため残響ほぼゼロとあって、歌い手さんたちにはやり難かったのか? 声は充分聞こえるのに、必要以上に声を張り上げる人も何人かいた。徒弟ダーヴィットを歌った時の伊藤達人は、いくら何でも怒鳴りすぎだろう。

 一方、片寄、大沼、大塚らのベテラン歌手たちは声を巧みに制御して、ホールに適合した歌唱を聴かせていた。特にオルトルートを歌ったカオリンこと池田香織は、この邪悪な陰謀家の異教徒の女の不気味な性格を、実に豊かな陰翳により表現していて、これはこの日の圧巻と言えたであろう。
 友清崇のアルベリヒは、このところ当たり役の悪役というべきか。

 注文をつけたいのはイゾルデ役の中村真紀。ワーグナー歌唱としては時代遅れのヴィブラートの過剰さも気になったが、それ以上に、イゾルデを歌うには、もっと怒り、悲しみ、苛立たしさ、愛情などの感情表現を歌に籠めなくてはいけない。始めから終りまで一本調子に声を張り上げるだけでは、この難役は表現できないのだ。
 岸浪のローゲはなかなかいい。

2021・12・19(日)びわ湖ホール「パルジファル」入門講座第1回

      コラボしが21(大津)  2時30分

 恒例のびわ湖ホールの「ワーグナー・シリーズ」、今回(2022年3月)は「パルジファル」になる。
 芸術監督・沼尻竜典が指揮するこの「びわ湖のワーグナー」は、その通常レパートリー10作品のうち既に8作品の上演を終え、残るは「パルジファル」と「ニュルンベルクのマイスタージンガー」2作のみになった。
 残念ながら2021年の「ローエングリン」からは、感染症対策のため、演出付きの本格的舞台上演でなく、セミ・ステージ形式上演を余儀なくされているが、それでも全国のワーグナー愛好家たちの関心を集める大イヴェントであることには変わりはない。

 私が担当している入門講座は、各作品につき2回ずつ(「ローエングリン」のみは3回)、上演2~3か月前に開催しているのだが、こちらの方々の熱心さは驚くほどで、今年はその感染症対策のため聴講席を120に絞ったというが、チケットは3日で完売したとかいう、何とも有難い話をホール側から聞いた。
 聴講の皆さん全員が上演本番を観るというわけではないらしく、ただ参考のために講座だけ、という方々も多いようだが、それでもその熱意には本当に頭が下がる。

 今回も2時間、映像を中心にして、物語の内容について話をさせていただいた。講座をやるたびに強い感銘を受けるのは、ワーグナーの音楽の圧倒的な、魔性的な力の物凄さである。おかげでこのところ毎日、頭の中で「パルジファル」の音楽が━━第1幕の豪壮な場面転換での管弦楽と合唱の部分などが、がんがんと鳴り渡っている状態に陥っている。しかし、これもまた快感なのだが。

2021・12・16(木)山田和樹指揮NHK交響楽団

      サントリーホール  7時

 マーラーの耽美的な「花の章」で開始されるという珍しいプログラムで、これがR・シュトラウスの官能的な「4つの最後の歌」に引き継がれ、その4つ目の歌の変ホ長調に、ベートーヴェンの変ホ長調の「英雄交響曲」が続くという、巧妙極まりない選曲。
 楽屋で会ったマエストロ山田は、「並べてみたら偶然そうなっていただけですよ」と笑っていたが、本音はどうでしょうかね。

 「花の歌」でのトランペット・ソロは、おそらく日によって異なると思うが、今日はちょっと伸びやかさに不足し、慎重な演奏のように感じさせる点がなくもなかった。
 篠崎史紀をコンサートマスターとするN響は「4つの最後の歌」で本領を発揮し、甘美でふくよかな情感を響かせたが、こういうドイツ後期ロマン派のとろけるような官能性をあのN響から引き出した山田和樹の感性と手腕も、見事と言わなくてはならない。

 それにまた、佐々木典子のソロが深々として素晴らしく良かった。彼女のドイツものは、あのびわ湖ホールでの「タンホイザー」で歌ったエリーザベトのヒューマンな歌唱と演技が私には今でも忘れられない(☞2012年3月11日)のだが、今回のR・シュトラウスも予想通り。
 そしてここでも、オーケストラのバランスを巧みに整え、彼女の声をマスクするようなことの全くなかった山田和樹の指揮を讃えなくてはならない。

 そして「英雄交響曲」での演奏━━これには私も舌を巻いた。真っ向正面から取り組んだストレートなアプローチながら、そのデュナーミクのつくり方の微細さ、精妙さ。そして、楽曲の形式と密接に関連させた演奏の起伏の見事さ。
 最も息を呑んだのは、第2楽章のミノーレが再現したあとの第117小節から第150小節あたりにかけての個所で、ここをひた押しに盛り上げ、悲愴感を昂揚させた演奏は、私もこれまでに聴いたことがないほどの凄さだった。
 それに第4楽章コーダでの全身全霊を籠めた終結和音群の叩きつけも、若き日のカラヤンを想起させるような情熱的なものだった。

 ロビーで会った元N響関係者の知人が言っていた━━あのサヴァリッシュらドイツ人指揮者たちに鍛えられ、ドイツ音楽には一家言も二家言もあるあのN響を、これほど自信満々制御してこんな立派なドイツ音楽の演奏をつくるんだから、彼は並みの指揮者じゃないよ、と。
 私もそう思う。しかもそれは歴代ドイツ指揮者のものとは全く異なる、極めて新鮮な演奏なのである。
 山田和樹は、本当に凄い指揮者になって来た。

2021・12・14(火)高関健指揮読売日本交響楽団&小林愛実

      サントリーホール  7時

 前夜は1時半まで仕事をしていたため、せめて8時頃までは眠りたい、と目覚し時計をかけて寝ていたところ、なんと早朝6時半頃に突然玄関のチャイムが猛烈な勢いで鳴り始めた。近所で事件でも起こったか、と慌ててインターフォンを開いたら、見るからに怪しげな格好をしたオヤジが立っていて、「道を歩いてたらカネをなくしちゃったので、500円ばかりお貸し下さい」と来た。
 一瞬「ラ・チェネレントラ」第1幕のある場面が頭をかすめたものの、これはお伽噺ではないし、ここはとにかく穏便にお引き取り願うことにした。だが、そのあとは結局眠れずで、最近は睡眠不足に致命的なほど弱くなっている私としては、終日大打撃を蒙る羽目に。

 それでも何とか予定通り、読響の12月定期を聴きに行く。
 当初発表されていたヴァイグレの指揮と、キリル・ゲルンシュタインのソロによるチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」の「原典版」(!)というのを楽しみにしていたのだが、案の定、2人の来日不可により変更になり、指揮が高関健に、協奏曲は小林愛実が弾くショパンの「ピアノ協奏曲第1番」となった。もちろん、これはこれでいい。
 他の2曲━━モーツァルトの「イドメネオ」序曲と、プロコフィエフの「第5交響曲」は予定通り。コンサートマスターは小森谷巧。

 「イドメネオ」序曲での演奏が実に堂々として風格充分。この曲がまさにオペア・セリアの序曲に相応しい性格を備えていることを、改めて感じ入らせてくれる。
 一方、小林愛実のソロの音色の美しさは際立っていて、それは協奏曲ではもちろんのこと、アンコールで演奏したショパンの「前奏曲Op.28-17」でいっそう見事に発揮されていた。

 第2部でのプロコフィエフの「第5交響曲」での高関&読響の演奏は、野性的で激烈、作曲者がソビエト帰国後もなお旺盛なバーバリズムの精神を持ち続けていた、と主張するような表現。

2021・12・13(月)クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

     サントリーホール  7時

 11月14日から今日までの1ヶ月間に10回のリサイタルを開催して、今日が最終日。
 プログラムはこの10回すべて同一のもので、バッハの「パルティータ」の「1番」と「2番」、ブラームスの「3つの間奏曲Op.117」、ショパンの「ソナタ第3番」。ただし、ブラームスでは何故か譜面を目の前に置いての演奏だったが‥‥。

 前回、前々回のリサイタルのあたりから妙に気になっていたのだが、このサントリーホールで演奏する時の彼の「音」が、昔に比べると何か不思議に遠い感じのものになっているのだけれど、弾き方も変わって来たのか。それを含め、今日のバッハも、軽くやわらかだった。しかしそのあたたかい表情には彼ならではのものがある。

 ブラームスの「3つの間奏曲」は、彼がこれまで日本で弾いたブラームスのいくつかの作品においてよりも、沈潜度がいっそう強い。それだけに「作品117の1」など、陶酔に引き込まれるような美しさを放射していた。
 ショパンのソナタは、まさに彼ならではの見事なショパンで、この作品の魅力を充分に再現していたといえようが、ただ以前の彼の演奏に比べると、どこか熱気と活気が減少していたような気がするのだが━━。

 そのショパンのソナタの第1楽章を弾き終った時、彼はひとつ咳をして、「ちょっと失礼」という身振りをして舞台袖に引き上げてしまった。再度ステージに登場して弾き始めた第2楽章は見事なほどブリリアントな音色になっていたが、それでも全体としては何か翳りのあるショパンに感じられる。まるでその前に演奏されたブラームスが、その影をショパンの上に落しているかのような‥‥。ハーモニーの響きが不思議に分厚く、以前の彼のショパンとは些か趣を異にしているような感もあったのである。
 とはいえ、終楽章の最後の昂揚は流石のもので、このあたりの彼の持って行き方は相変わらず巧い。

 アンコールはなし(こういうことは彼の場合、初めてではない)。最後のカーテンコールではサンタクロースの恰好をして登場するというご愛敬、満席の会場を笑わせた。

2021・12・12(日)鈴木秀美指揮神戸市室内管弦楽団「メサイア」

      神戸文化ホール 中ホール  2時

 公共のホール多しと雖も、オーケストラと合唱団とを併せ有しているところは全国でもここだけ、と胸を張る神戸市民文化振興財団が主催したヘンデルの「メサイア」公演。中規模ホールながら、今回は完売満席とのこと。
 神戸市室内管弦楽団(音楽監督・鈴木秀美)と神戸市混声合唱団(音楽監督・佐藤正浩)が協演し、中江早希(S)、中嶋俊晴(CT)、櫻田亮(T)、氷見健一郎(Bs)がソリストに加わる。指揮は鈴木秀美。コンサートマスターは高木和弘。

 ここで神戸市室内管の演奏を聴くのは、私はこれが2度目になる。
 前回(→9月25日)は、ホールの残響の少なさからオーケストラの響きに潤いが欠けることが気になったのだが、今回はそういう印象が一掃され、弦楽器群の響きが俄然瑞々しく聞こえるようになっていたのは嬉しい驚きであった。残響の無さが気になるのは、音がぱっと止んだ時だけで、曲が進むうちに、ホールのアコースティックのことなど、いつのまにか全く意識しなくなっていた。
 いや、これは自分の耳がそれに慣れたということよりも、指揮者とオーケストラがホールの響きを巧く克服できるようになって来たことや、演奏が極めて素晴らしかったということなどが原因であろうと思われる。

 鈴木秀美の音楽の「もって行き方」は実に巧く、この長大な作品を少しも弛緩させないというよさがある(欲を言えば、第2部冒頭のテンポを落した個所だけはヴァイオリン群に少々緊迫感が不足していたきらいもあったが)。「ハレルヤ・コーラス」も含め、ここぞという個所での昂揚感も目覚ましいものがあった。バロック・トランペットも輝かしい。

 コーラスは、数えるのを忘れたが、30人くらいか? オーケストラとのバランスも頗る良い。ソリスト陣の中で、氷見は私の初めて聴く歌手だったが、その安定したバスの歌唱には感心した。中嶋のカウンターテナーも安定していたし、櫻田は流石に練達というか、この響のないホールでも自らの声を巧く響かせる術を心得ているようである。中江は、いつもの冴えが感じられなかったが、もしかしたら今日のホールのコンディションでは歌い難かったのか?

 今回は字幕が使用されていたのがよかった。第1部の後に20分ほどの休憩時間を入れて、終演は5時 45分頃。

2021・12・11(土)日本ワーグナー協会例会「バイロイト音楽祭報告」

      あうるすぽっと(池袋) 2時

 夏のバイロイト音楽祭(祝祭)の報告会は日本ワーグナー協会の恒例の行事だ。
 今年は例年とは稍々異なった形になったが、かつてバイロイト祝祭劇場のスタッフでもあった北川千香子・慶応義塾大学准教授による、今年の上演曲目「さまよえるオランダ人」に関する「分析」が行われた。

 今年の上演では、バイロイト初の女性指揮者となったウクライナ出身のオクサナ・リニフの指揮は好評だったが、ディミトリ・チェルニャコフによる「オランダ人の復讐」をコンセプトにした演出は、大幅読み替えの是非はともかく、そのドラマトゥルグ上の整合性の不足(もしくは欠如)が大きな問題を残したこと━━などが、ネットの中継映像や、ドイツの新聞記事などを資料として語られた。

 私はもちろん今年のバイロイトには行っていないので、すこぶる興味深く拝聴した次第だが、ともあれチェルニャコフは以前の「エフゲニー・オネーギン」や「ボリス・ゴドゥノフ」で見せた手法を、今回もかなり使っているように思われる。

 席上、北川准教授も問題提起として触れられていたことだが、そもそも「さまよえるオランダ人」というオペラにおける19世紀的ロマン性━━つまり幽霊船、不気味さ、神秘性、救済と言ったテーマは、21世紀のオペラの演出においてはもはや発展性が見出せず、扱うことが困難なのではないか、という問題はやはり避けて通れないのかもしれない。
 ただ、私の考えでは、現代にあってもオカルト性や怪談への興味は、民衆の中には未だ生きているはずだし、バイロイトの現在の上演のような見境のない(?)スタイル以外にも、やりようはいくらでもあるはずだとは思うのだが‥‥。

2021・12・10(金)カーチュン・ウォン指揮日本フィル

     サントリーホール  7時

 シンガポール出身、今ひときわ注目を集めている俊英カーチュン・ウォンが、この9月から日本フィルの首席客演指揮者に就任している。
 1月定期はその就任披露演奏会で、今日はその初日。アルチュニアンの「トランペット協奏曲」とマーラーの「交響曲第5番」が演奏された。

 協奏曲のソリストはこの楽団のソロ・トランペット奏者オッタビアーノ・クリストーフォリだが、彼は第1部でコンチェルトを輝かしく華やかに吹いたあと、第2部でもそのままオケの首席の位置に戻り、マーラー「5番」のあのソロを朗々と吹くという超人的な活躍を示して、聴衆の熱烈な拍手を浴びていた。コンサートマスターは木野雅之。

 日本フィルは、それにしてもいい指揮者を獲得したものである。このオケがこれほど引き締まって濃密な、しかも瑞々しくて剛直な演奏を繰り広げたことは、そう何度もあったことではない。

 特にマーラーの「5番」では、ウォンは第1楽章全体をイン・テンポの葬送行進曲スタイルで演奏し、そのイメージを全楽章に拡げることが狙いであるかのように、それ以降の楽章をも不動の整然たる構築で押し切った。激しく昂揚するけれども、決して感情に流されぬ、透明清澄で「まっすぐなマーラー」なのである。

 それは、夏に都響を指揮した「新世界」での伸縮自在の演奏などとは別人のように異なるスタイルのものだが、しかし以前読響を振った際のマーラーの「10番」のアダージョが極度に反ロマン的で冷徹な演奏だったことを思えば、抑々ウォンのマーラーの音楽観そのものが、所謂感情過多で神経質な音楽からは距離を置いているのだということが分かる。
 最近の若い世代の指揮者に多いマーラー観の一例として、これはこれで一つの考え方だ。ただし聴き手の好みは分かれるだろう。

 だが、やはり彼はいい指揮者だ。これからもっと凄い人になるだろう。自分のカラーを存分に出して行ってもらいたい。いつかはヨーロッパの伝統の壁にぶつかることになるだろうが、それに敗れて引き下がるか、妥協するか、あるいはそれを己の感性の中にまるまる呑みこむことができるか。

 今日の日本フィルは、見事だった。全曲に拡がる透明感のある音色は、ウォンの指揮から引き出されたものではあるが、オーケストラが充実した状態にあることを示すものでもあったろう。

2021・12・9(木)飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルのシューマン

    東京オペラシティ コンサートホール  7時

 シティ・フィルの新企画、桂冠名誉指揮者・飯守泰次郎との「シューマン交響曲全曲演奏シリーズⅠ」。今日は「第1番」と「第2番」が演奏された(因みに「シリーズⅡ」は来年6月11日の由)。コンサートマスターは戸澤哲夫。

 演奏には並々ならぬ気魄が込められており、「第1番《春》」など、冒頭から沸き立つような熱気にあふれていた。おなじみの重厚でスケールの大きな演奏である。アンサンブルは少し粗いけれども、綺麗に整っていてもつまらない演奏よりは、こういう覇気に富んだ演奏の方が、私は好きだ。

 しかし、いっそう演奏が見事だったのは「2番」だったであろう。第1楽章コーダの追い上げは凄まじく、第4楽章終結での怒涛のような昂揚感も印象的で、ここぞという頂点で一押し、力感と昂揚感を更に高めるという大わざに、このところ飯守はますます長けて来ているような気がする。
 この「2番」という曲、作曲当時のシューマンの不安定な精神状態も影響して、「ハ長調」でありながらもどこか神経質で落ち着かない性格を持っている曲に感じられるものだが、飯守の指揮で聴くと、そこにも堂々たる風格と威容が加わり、それらが作品をむしろ堅固な性格のものに近づけているように思われる。

 つい先頃も体調を崩したというマエストロ飯守だが、今日は楽章間でこそ椅子に掛けて休むことがあっても、演奏の時には常にきりりと立ったまま、指揮を続けていた。オーケストラもマエストロへの尊敬と信頼から、自発的に演奏を盛り上げているようにも感じられる。
 演奏が終って、袖のドアの傍で椅子に掛けて休んでいるマエストロに向かい、ステージから引き上げて来る楽員たちがひとりひとり「先生、ありがとうございました」とにこやかに声をかけながら通って行く光景が印象深かった。

2021・12・8(水)反田恭平&小林愛実 デュオ・コンサート

      東京芸術劇場 コンサートホール  7時

 先頃のショパン国際コンクールで2位となった反田恭平と、4位に入賞した小林愛実とが協演するコンサート。客席は文字通り超満員。実にタイムリーな公演だ、と思ったら、これはコンクールの前から決まっていた企画だとか。大成功、大当たりの企画だ。

 メイン・プロはすべて2人のデュオで、演奏されたのは、モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタK.448」、シューマンの「庭園のメロディOp.85-3」、ルトスワフスキの「パガニーニの主題による変奏曲」、シューベルトの「幻想曲ヘ短調」、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」。

 それぞれの個性が出ていなかったわけではないが、どれも綺麗に揃った演奏だ。今日は2人のソリストの演奏というより、アンサンブルとしての演奏を聴かせてもらったということ。

2021・12・5(日)関西ワーグナー協会例会「大阪バイロイトを見直す」

      西宮大学交流センター大会議室  2時

 1967年の大阪国際フェスティバルで、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」と「ヴァルキューレ」が、ヴィーラント・ワーグナーの演出によりフェスティバルホールで上演された。
 指揮はそれぞれブーレーズとシッパース、歌手陣は前者が二ルソン、ヴィントガッセン、ホッタ―他、後者がテオ・アダム、アニア・シリア他、当時のベストメンバー。

 バイロイトから照明スタッフも来日したこの舞台、それはもう完璧なほどの出来で、ワーグナーの「限りなく奥深い巨大な夜の闇」があれほど凄まじい形で描かれたことは、かつて日本のワーグナー上演では例がなかったはずである。私にとっても、生涯最高の音楽的体験のひとつだった。

 もっともバイロイトでは、この時の公演は「バイロイト祝祭の引越公演」とは見做しておらず━━たしかに前出公演のプログラム冊子の表紙にも「WAGNER FESTIVAL BY THE ENSEMBLE OF BAYREUTH」となっていた━━最初の正式な「日本引越公演」は1989年のオーチャードホール公演、ヴォルフガング・ワーグナー演出「タンホイザー」である、ということにされている。
 ただし、上演の水準や、それが生み出した感動の大きさから言えば、両者は比較することすら愚かである。私の考えでは、それはひとえに、ヴィーラントとヴォルフガングの演出の違いゆえにほかならない。

 例会では、櫻井隆志氏がこの件に関するバイロイト側の見解に対し、かつ日本にもそれを孫引きして大阪公演を無視する傾向のあることにつき、強く反論していた。所謂「大阪バイロイト」の偉大さをもっと再認識して、それを正確に語り継いで後世に残す努力が必要だ━━とも。私もそれには同意見である。いっそ関西ワーグナー協会が中心になって、その記録をまとめてみてはいかがなものか?

 例会ではその他にも、藤野一夫氏が当時のデータに基づき、公演全般に関する経済的な問題など、非常に興味深い話をされた。また、故・村山美知子・朝日新聞社主の回顧談を交えた公演当時のドキュメント映像は私も初めて観るもので、大いに教えられることが多かった。
 もう一つ、「ヴァルキューレ」第3幕の上演映像は、若々しい純なブリュンヒルデ像のアニア・シリアの歌唱と演技も懐かしく、遥か54年前の印象をまざまざと蘇らせてくれた。極めて貴重な映像ではあるが━━しかし、大阪で見た実際の舞台は、あんなもんじゃない。あの物凄さは、映像では絶対解らない。

 例会は、延々5時半まで。当時現場で見た人は、私の他にも2~3人おられたようだ。私も飛び入りで、当時の話を少々。

※元大阪国際フェスティバルの中山さんから、当時の非常に貴重な話をコメントで頂戴しています。

2021・12・4(土)ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団

     サントリーホール  6時

 些か不穏当な言い方になるかもしれないけれども、言葉尻をとらえないでいただきたい━━コロナの新変異型が突然世界的に猛威を振るい始め、入出国が再び制限され始めたこの時期、ジョナサン・ノットはすでに日本に来ていた、ということは、彼にとってはともかく、日本の音楽界にとっては幸いなことだったに違いない。今日の演奏を聴くと、やはり彼は、東響のみならずわが国のオーケストラ界に於いては欠かせぬ人なのだ、ということが実感されるからである。

 プログラムは、ゲルハルト・オピッツをソリストに迎えてのブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」と、後半にルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」。コンサートマスターは小林壱成。

 オピッツは、やはりこのようなブラームスの作品を弾くと、彼の最良の面を発揮するようである。何の外連も誇張もなく、ひたすら実直に作品と相対する彼の演奏は、ブラームスの音楽の素朴で哲学的な美しさをストレートに蘇らせる。今日では少数派となっているとも言えそうなスタイルの演奏だが、聴いていると安らかな気持に引き込まれるのは事実であろう。
 またノットが東響から引き出した演奏も、豊かな和声感を漲らせた重厚なもので、オピッツのピアノに巧く合わせた感があった。欲を言えば、終楽章のコーダの部分を、第1楽章のそれと同じように、もう少し盛り上げてくれたらな、と思わないでもなかったが。

 ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」は、おそらく彼ノットと東響とのこれまでの演奏の中でも、屈指のものではなかったろうか。複雑精緻で大規模な管弦楽法を持ったこの大曲を、凄まじいほどの力感と、それでいながら少しも曖昧にならぬ明晰で解り易い響かせ方を以て、ノットは実に鮮やかに東響を制御した。

 この曲を以前、誰だったかの指揮で聴いた時には、何となく怪物的な作品というイメージを与えられたものだったが、今回のノットの指揮は、そんな印象を払拭してくれた。ルトスワフスキが当時まだ少しは共感していたらしい東欧の民族音楽のカラーの断片が一瞬顔を覗かせる、そんな瞬間も今回の演奏の中にはちゃんと残っていたのである。しかもノットは、この複雑な大曲を、暗譜で指揮していた。
 指揮を重ねるごとに、いろいろな才能を示してみせるノットである。

2021・12・2(木)二兎社公演「鴎外の怪談」(作・演出:永井愛)

      東京芸術劇場シアターウェスト  6時

 「怪談」と言っても、森鴎外が怪談を書いたという話ではなく、彼にまつわる怪談という意味でもない。
 要約するにこれは、森鴎外の一般に知られざる一面━━陸軍軍医総監・陸軍省医務局長という要職にある人間としての立場と、社会主義思想への彼の秘かな共感あるいは幸徳秋水らの所謂「大逆事件」で運動家たちを救えなかったことへの苦悩との葛藤がテーマとなっている演劇、というべきか。

 加えてこれに、彼の故郷である津和野におけるキリスト教徒弾圧の記憶(明治の世になっても未だ切支丹弾圧が行われていたというのは恐ろしい話だ)と、彼の若き日に恋し、捨てたドイツ人女性(有名な小説「舞姫」のエリスのモデルとなった女性)への罪悪感と追憶の念が、彼の意識の中に絡んで来る。

 20分程度の休憩1回を含む上演時間2時間半程度のこのドラマは、一貫して森鴎外の邸宅の書斎で展開される(この昔の部屋の雰囲気、なかなかいい味がある)。ちょっと単調になり、もたれるところもないではないが、森鴎外すなわち森林太郎が、「立場上、口にし難い」社会的・政治的思想を、文学作品の中でどのように語っているのか、という謎解きも絡めて観ていると、興味津々たるところも多い。

 出演は松尾貴史(森鴎外)、瀬戸さおり(妻・しげ)、木野花(母・峰)、池田成志(鴎外の親友で元軍医・賀戸鶴所)、味方良介(三田文学編集長・永井荷風)、淵野右登(弁護士、スバル編集者・平出修)、木下愛華(女中・スエ)。

 松尾貴史が演じる主人公は、何となくおっとりとした鷹揚な人物に━━よく言えば清濁併せ呑む大人物といった雰囲気で━━表現されているが、少々つかみどころがない感もある。もう少し「秘かに苦悩する人物」という表現が明確になっていれば、とも思うのだが。

2021・11・29(月)井上道義指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

      サントリーホール  7時

 予定されていたシャルル・デュトワの久々の客演が中止。「ブレイクスルーの新型コロナ陽性反応」のため、飛行機に乗ってはいけないと医者から命じられたとのこと。早い回復を祈る。

 急遽代役を引き受けたのは井上道義。当初予定のプログラム━━武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、モーツァルトの「交響曲第39番」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を指揮した。
 ただし「弦楽のためのレクイエム」は「井上道義&尾高忠明による2021年改訂版」に、また「ペトルーシュカ」は当初予定の「1911年版」から「1947年版」(ただし最強奏で終る版ではなく、消えるように終る版の方)に、それぞれ変更されていた。

 「弦楽のためのレクイエム」のその版については、私は全く知らずに、かつ予備知識なしに聴いてしまったので、これまでに聴いたことがないほど非常に明快な音色とニュアンスで演奏されていたこと、この少し日本人指揮者離れした解釈は多分井上道義の個性から生まれるものだろう、と思ったこと以外には特に意識していなかったというのが正直なところだ。
 プログラム冊子にも該当の解説が載っていなかったが━━CURTAIN CALLで12月3日からアーカイブ配信が行われるというから、そこで何らかの解説がサービスされるのかもしれないが(但し有料だそうな)。

 「39番」は、多少ガサガサしたアンサンブルだったが、ただ第2楽章(アンダンテ)の第30小節でオーケストラが突然フォルテになる瞬間、何かが鮮烈に切り込んで来るような、ぞっとするような衝撃感を生み出していたのが強い印象となって残る。

 後半のドビュッシーとストラヴィンスキーは、最近聴いた新日本フィルの公演の中では、最も濃密で壮麗で、この2作が音楽史上におけるオーケストラの黄金時代を象徴する存在であることを証明する優れた演奏だったといえよう。こういう演奏をしていれば、定期に客が戻って来ることは間違いないと思われる。
 それにしても最近の井上道義は、このような、聴衆にストレートにアピールする演奏を自然につくることに秀でて来たように思われる。以前は、何か殊更に演出めいた雰囲気が感じられたこともあったのだが━━。これが円熟というものなのだろう。

2021・11・28(日)ミュージカル「蜘蛛女のキス」

       東京芸術劇場プレイハウス  6時

 ジョン・カンダ―(曲)&フレッド・エブ(詞)のコンビ━━あの「キャバレー」の作詞作曲コンビである━━によるミュージカル「蜘蛛女のキス」(1991年ロンドンで初演)が、今回は日澤雄介の演出、石丸幹二(ゲイの囚人モリーナ)、安蘭けい(蜘蛛女、オーロラ)ほかの出演で制作された。若い革命運動家の囚人バレンティンはダブルキャストで、今日は村井良大の出演。

 なお小編成のオーケストラはPAから音が流れるのみだったが、上方左右にあるモニターテレビからは、ピアノを弾きつつ指揮している人の姿(プログラム冊子には飯田緑子とクレジットされている)が見えていた。
 11月26日から12月12日までの上演で、17~19日には大阪(梅田劇場)でも行われる由。

 あのマヌエル・プイグの原作戯曲が、よくまあこういうミュージカルに仕立てられたものだと改めて感心してしまう。しかもミュージカルだと、オペラよりもずっとリアルなイメージが濃くなるので、やはりシリアスな物語としてわれわれに迫って来る。
 何しろ、刑務所の牢獄の中で━━原作では確かアルゼンチンのブエノスアイレスの刑務所だったが、このミュージカルでは「ラテンアメリカの刑務所」となっている━━繰り広げられるドラマゆえ、拷問やら何やらの陰惨なシーン(私の好みではない)もあるのだから。

 だがとにかく、石丸幹二の妖しい色気に満ちた演技の細やかさたるや、見事なものだった。音楽は、私の主観では、やはり60年代の「キャバレー」の方が傑作ではないかと思われるのだが━━。
 今回はPAが過度に音量を上げることのないレベルだった(つまり、耳を聾する大音響でなかった)ことも有難かった。

2021・11・27(土)東京二期会:J・シュトラウスⅡ:「こうもり」

     日生劇場  2時

 2017年に上演されたアンドレアス・ホモキ演出によるプロダクションの再演。ただし日本側の演出補(助手)は、前回の菅尾友から、今回は上原真希に変わっている。
 また今回は、川瀬賢太郎が東京交響楽団を指揮、歌手陣(公演3日目の今日はAキャスト)も━━又吉秀樹(アイゼンシュタイン)、幸田浩子(ロザリンデ)、宮本益光(ファルケ)、高橋維(アデーレ)、斉木健詞(フランク)、澤原行正(アルフレード)、郷家暁子(オルロフスキー)、渡邊史(イダ)、高梨英次郎(ブリント)、森公美子(フロッシュ)となっていた。前回上演の時とは、宮本益光以外はすべて替わっている。

 演出と舞台については、前回(☞2017年11月24日)に詳しく書いた。
 今回も基本的には同じなのだが、ただ人物の動きが━━特に大勢のパーティ客らの動きに、何となく隙間が感じられ、鈍いような気もしたのだが、何処がどう違っていたと言えるほどの確証はない。コロナ対策上、動きを少なく、遅くしたこともあるのかもしれない。
 ただ私の主観では、どうも今回は、プレミエ時に比べると、所謂「日本人オペレッタ的な舞台」に逆戻りしたような感も抑えきれなかったのだが‥‥。

 歌唱では、宮本益光が練達の安定した味を聴かせて舞台を引き締め、又吉秀樹が朗々たる声を披露、斉木健詞が重みのある刑務所長を聴かせたことなどをはじめ、皆それぞれ責任を果たしていた。

 ただし、重要な日本語セリフの部分では、女声歌手の何人かに、相変わらず頭の天辺から声を出すような旧態依然の発声のセリフ回しが多く聞かれて、これは日本のオペラとしてちっとも進歩していないな、と落胆させられる。
 その点、斉木健詞が刑務所でフロッシュの一人芝居を「長い!」とたしなめるあたりの自然な会話調のセリフは最も聞きやすく、観客の自然な笑いを誘う基ともなっていただろう。そのフロッシュ役の森公美子のセリフ回しは(ちと長かったのは確かだが)やはりサマになる。

 川瀬賢太郎のオペレッタ指揮は、私は今回初めて聴いた。ピットの壁越しにいつもの獅子奮迅の身振りが見えただけだが、聴いた感じではテンポの速い颯爽たる演奏で、セリフとの受け継ぎ・受け渡しの呼吸も巧く、いい流れをつくっていたと思う。
 東響がピットの中での演奏としては久しぶりに引き締まった音を聴かせてくれていたのも祝着である。
 
 「シャンパンの歌」で幕をいったん閉じる2幕構成で、20分強の休憩を含み、終演は5時少し前。

2021・11・26(金)マリオ・ヴェンツァーゴ指揮読売日本交響楽団

      サントリーホール  7時

 スイスの指揮者、今年73歳。33年前にN響を指揮して以来の来日とのこと。モーツァルトの「ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466」(ソリストはゲルハルト・オピッツ)と、ブルックナーの「交響曲第3番」(第3稿ノーヴァク版)を指揮した。

 彼の指揮を、私は今回初めてナマで聴いたのだが、不思議な味を持った指揮者である。実にいい。一切の虚飾もハッタリもなく、ひたすら誠実に演奏をつくって行く。アンサンブルもガサガサしていて、洗練された美しい響きとは無縁だ。文字通り素朴で野暮ったいブルックナーなのである。

 しかし音楽のスケールは大きく、特にクレッシェンドは雄大な趣がある。そして、手練手管を尽くした精密なブルックナーの演奏からは味わえないような満足感を与えてくれるのである。特にこの「第3交響曲」の場合、整然と整理され過ぎた「第3稿」を整然と演奏するとつまらない曲に聞こえることが多いので、このヴェンツァーゴのような「鄙びた」演奏に巡り合うと、思いがけない良さを感じるものだ。
 こういう演奏は、昔のドイツの、あまりメジャーではないが頑固なスタイルを守り抜く指揮者のレコードで聴いたものと、ある意味での共通点があるだろう。今でもこういう指揮者がいるというのは、実に貴重である。

 読響の方は、大切なトランペットやホルンのソロが、出だしでは妙に頼りなかったけれども、やがてそれも克服されて行った。カーテンコールの後にも、聴衆の拍手がいつまでも鳴りやまなかったのは、皆がこの時代離れした稀有な指揮と演奏にむしろ新鮮さを感じ、感動したことの表れだったであろう。

 プログラムの前半では、予定ではエマニュエル・パユがマルタンやライネッケの作品を吹くことになっていたのだが、変更されてゲルハルト・オピッツがモーツァルトを弾くことになった。まあ、この「ニ短調K.466」も近頃では意外にナマで聴く機会がない曲だし、これはこれでいい。ただしオピッツだから、これまた重厚で実直そのもののモーツァルトになる。
 またオーケストラの方も、あの暗い不気味で神秘的な冒頭部分があまりに鄙びた音で響き始めたため、これはどうなることかと思ったほどだったが、間もなく落ち着いた。

 ともあれこのヴェンツァーゴという人、レパートリーにもよるだろうが、今どき面白い存在の指揮者ではある。

2021・11・25(木)アレクサンドル・カントロフ・リサイタル

      トッパンホール  7時

 かの有名なフランスのヴァイオリニストであるジャン=ジャック・カントロフの子息にして、2年前のチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門優勝者、アレクサンドル・カントロフ。
 まだ24歳の若さだが、ヒゲを生やし、前衛青年的な、何となく老けた風貌となって登場。今回はブラームスとリストのそれぞれ20歳代の作品でプログラムを組むというリサイタルだった。
 前半にブラームスの「4つのバラード」とリストの「ダンテを読んで~ソナタ風幻想曲」、後半にブラームスの「ピアノ・ソナタ第3番」。

 何しろ、このホールには入りきれないくらいの音量と音圧を備えたアジタートな演奏であり、しかも聴いた席が比較的ステージに近い位置━━となるともうこれは、ブラームスの作品もリストの作品も、いかにも20歳代の気魄満々の青年の手になるものだということを納得させられるような演奏に聞こえるのも当然か。
 まあ、それは別として、このピアニストは、実に豊かなハーモニー感覚を持っている人だということに、今日の演奏を聴いていて気がついた。

 演奏された作品群がいずれも分厚い和声を備えているのはもちろんなのだが、カントロフの演奏を聴くと、あるメロディでさえ、ハーモニー単位の移動として描き出され━━つまり転調として表現される、という不思議な構築になるのだ。
 例えば「ソナタ第3番」第2楽章(アンダンテ)のポーコ・ピウ・レント(第37小節から)後半の、第53小節および第77小節からの個所など、大半の演奏では極めて美しい憂愁を帯びた歌として聞こえる(※)ものだが、カントロフの演奏では、メロディ・ラインはほとんど意識されず、専らハーモニーの移動として響いて来るのである。

 おそらく彼は、その旋律に酔うなどということには興味がないのだろう。それを良いとか悪いとか言うつもりは全くないけれども、彼がこういう個性的な解釈を堂々と押し出すピアニストだったということは、やはり興味深かった。
 アンコールは3曲弾かれた。ストラヴィンスキーの「火の鳥」からと、ラフマニノフの「楽興の時Op.16-3」、モンポウの「《歌と踊り》第6番」。終演は9時を過ぎた。

※この個所は、明快な旋律性を押し出しながらハーモニーを忘れず、しかも若々しさと憂愁美とを併せ持ったエレーヌ・グリモーの演奏が実に素晴らしかった!

2021・11・25(木)ポール・メイエとカルテット・アマービレ

     東京オペラシティ コンサートホール  1時30分

 クラリネットのポール・メイエと、日本のカルテット・アマービレ(2016年ミュンヘン国際音楽コンクール弦楽四重奏曲部門第3位)とが協演、モーツァルトとブラームスの「クラリネット五重奏曲」を演奏した。

 昨夜の「マイスタージンガー」の音楽が未だ耳にも心にも残っている中に響いて来たこの2曲のクラリネット五重奏曲の、また何と清澄で爽快で、幸福感に満ちていること。身も心も洗われるような、とはこういうものを謂うのであろう。

 カルテット・アマービレの弦も極めて美しく、モーツァルトでは柔らかい羽毛のように響いていた音色が、ブラームスでは一転して引き締まった、しかし陰翳のある音色に変わる鮮やかさ。そしてポール・メイエの、澄み切ってしかも温かい、夢幻的に拡がって行くようなクラリネット。
 2曲とも至福の演奏だったが、特にブラームスの第2楽章での幻想的な情感(終結個所の素晴らしさ!)と転調の呼吸の美しさは圧巻であった。

 カルテット・アマービレは3人が女性で、モーツァルトでは純白の衣装で演奏していたのが、休憩後のブラームスでは黒い衣装に身を包んで登場して来た。作品の性格の違い、演奏の表情の違いを視覚的にも表現するこのステージ演出にも、何か妙に感心した次第。

2021・11・24(水)新国立劇場 大野和士指揮 ヘルツォーク演出
ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

        新国立劇場 オペラパレス  2時

 新国立劇場と東京文化会館の共同制作━━「国」と「都」の初の共同プロジェクトの一環として、新国立劇場オペラ芸術監督と東京都交響楽団の音楽監督を兼任する大野和士がこの上演を高らかに宣言してから、もうずいぶん時が経ったような気がする。

 とにかく、第1弾「トゥーランドット」は2019年に予定通り上演されたが、この「マイスタージンガー」の方は昨年の上演予定が新型コロナ蔓延の影響で今年に延期され、今年夏には東京文化会館での上演が同じくコロナの影響で、土壇場で中止されてしまっていた。そしてやっと、この秋の新国立劇場の上演が、めでたく実現の運びに至ったわけである。制作に携わった多くの人々の、特に総帥の大野和士の感慨は如何ばかりかと思う。

 このプロダクションの制作には、他にザルツブルク・イースター音楽祭と、ザクセン州立劇場(ドレスデン)も名を連ねている。
 演出はイェンス=ダニエル・ヘルツォーク、舞台美術はマティス・ナイトハルト。大野和士の指揮のもと、東京都交響楽団と新国立劇場合唱団・二期会合唱団が出演。

 歌手陣には、トーマス・ヨハネス・マイヤー(親方ハンス・ザックス)、アドリアン・エレート(同ベックメッサー)、ギド・イェンティンス(同ポーグナー)、林正子(その娘エーファ)、シュテファン・フィンケ(騎士ヴァルター)、伊藤達人(徒弟ダーヴィット)、山下牧子(マクダレーネ)、志村文彦(夜警)。また親方衆には、村上公太、与那城敬、青山貴、妻屋秀和、秋谷直之、鈴木准、菅野敦、大沼徹、長谷川顯━━といった、錚々たる顔ぶれが並んでいた。

 総合的に言って、これは優れた上演だったことは間違いない。
 まず大野和士の指揮。モネやリヨンなど、欧州の歌劇場のシェフとしてキャリアを積んだ彼の本領が、今回は全開していた。劇的な起伏感、明晰なカンタービレ(第2幕のザックスの「ニワトコの歌」や第3幕でのエーファの歌など)、モティーフの巧みな扱い(第3幕での「トリスタン」の引用)などをはじめとして、彼がこの作品を完全に自家薬籠中のものとしていることを示しているだろう。

 東京都響の演奏も、重量感と厚みには多少不足するところがあったにせよ、この劇場のピットから響いた演奏としては、近年出色の濃密なものであった。このピットに入る他のオケ(複数)が、いつもこういう演奏をしていてくれれば、新国立劇場のオペラももっと愉しくなるのだが━━。

 歌手陣も安定していた。来日勢では、ヴァルター役のフィンケが少し声に癖があるものの、まず不足はない。ザックス役のマイヤーも滋味あふれる歌唱と演技で、この演出における落ち着いた家父長ともいうべき役柄の責任を果たしていた。

 中でも、エレートのベックメッサーはまさに当たり役というべく、今回の演出では比較的物静かなキャラ表現だったが、歌といい演技といい堂に入ったもの。
 第3幕で、自分が失敗したヴァルター作の歌詞を彼が見事に歌うのを聞いて感心し納得するものの、突然「だから何だ」と怒りに燃えるといった感情の変化の表現の巧さをはじめ、細かい演技も見せてくれる。彼が予定通り来日できて本当に幸いであった。

 細かい演技といえば日本人歌手が演じる親方連も同様で、歌唱ではあまり目立つ個所が無いものの、常に全員が演技をしているということが舞台を引き締めていたのである。
 林正子のエーファもかなり華やかな歌唱と演技で、とかく埋没しがちなこの役を目立たせていた。ダーヴィットの伊藤達人も、この役にしては少し声が軽いという印象もあったが、手堅い存在感を示していた。久しぶりに演劇的なオペラの舞台を観たという感だ。

 とはいうものの、この演出で、ドラマの場所をニュルンベルクの街中でなく、ある劇場の中に設定、ザックスをその劇場監督か支配人にしたあたりは面白い発想と思われたが、全体を見終ってみると、その設定はさほど意味を持っていなかったような気もする。

 演出形態は、基本的にはストレートな解釈で進められるが、大詰めはやはり近年の演出の趨勢と同様、ザックスがその大演説で最後に提言するナショナリズムが彼自身の墓穴を掘る、という結末が選ばれている。
 最近の演出では、ザックスが民衆から愛され讃えられ、平和な大団円になるというト書き通りの演出はほとんど見られないというのは周知の通りで、多くは、人々がザックスから離反して行くという流れになる。あるいはバイロイトの最新のバリー・コスキー演出(→2017年8月19日の項参照)のように、孤独のザックスが世の人々(観客)に対し必死の弁明を試みるとかいった手法が試みられるものもある。

 ただ今回のヘルツォーク演出で理に適っていると思われるのは━━硬直した芸術の規則を嫌い、マイスター就任を拒否したヴァルターが、そのあとザックスから「ドイツ芸術礼賛のナショナリズム」を聞かされたことで反感を決定的にすることと、一度はそれをなだめようとしたエーファが、結局は恋人の選択に合わせてしまう、という流れを、順を追って細かく明晰に描いていることではなかろうか。

 ザックスも、「ニュルンベルクの民衆」からも反感を抱かれるという設定までには至っていない。これにより、一般の演出に見られる「ザックスからの人びとの唐突な離反」とは、一線を画していると思われるのである。
 それにしても、あれほど面倒を見てやった若い2人から瞬時に裏切られる設定にされるとは、ザックスも気の毒なことよ。

 30分の休憩2回を含み、終演は8時。やはり長い。

2021・11・21(日)みちのくオーケストラ巡礼記第4日 山形交響楽団

     山形テルサホール  3時

 みちのくオケ巡礼最終日の今日は、1972年に創立された山形交響楽団。常任指揮者に阪哲朗を擁している。
 なお、この楽団を全国区のオケに躍進させた功労者の飯森範親は、現在は芸術総監督というポストにあるが、創立50周年に当たる来年4月からは桂冠指揮者となることが発表されている。かりに村川千秋・黒岩英臣の時代を第1期、飯森の時代を第2期と数えるなら、山響はいよいよ阪哲朗を中心とする第3期の時代に突入することになる。

 今日はその阪哲朗の指揮するプログラムだ。芥川也寸志の「弦楽のための《トリプティーク》」、シベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」、ブラームスの「交響曲第4番」。協奏曲のソリストは辻彩奈。コンサートマスターは高橋和貴。

 阪と山響の演奏を聴くのは今年の2月以来だ。もちろん、それ以前からも何度か聴いているのだが、特に最近は、両者がつくる演奏に━━曲により多少の例外はあるにはしてもだが━━密度が目覚ましく濃くなって来ているように感じる。
 今日の3曲においても、緻密なアンサンブル、厳しく確固とした造形力、瑞々しい息づきなどの特徴が際立っていて、山響も今やこういう演奏をするようになったのか、と些か驚かされた。
 阪の指揮も素晴らしく思い切りのいい、スパッとした鮮やかな手捌きによる音楽構築といった感で、実は私は彼がこういう指揮をしたのを初めて聴いたような気がするのだが。

 「トリプティーク」などはその最たる例で、極めて見事なリズム感にあふれ、躍動感一杯の演奏となっていた。
 ブラームスの「4番」も同様、ロマン的な憂愁美よりは古典的な造型感に近い演奏にも感じられたが、オーケストラのしなやかな表情は少しも失われていないので、この曲の深々とした叙情美と強靭な情熱とが、充分に堪能できたと思う。

 だがそれ以上に今日の白眉は、辻彩奈をソリストに迎えたシベリウスのコンチェルトだったのではないか。
 彼女の演奏は、この2年ばかりの間にたびたび聴いているけれども、今日ほどその凄さを感じたことはなかった。これが24歳の女性の演奏かと驚かされるほど強靭な集中力で、この曲を堅固な構造体に組み立てて行く。しかも作品の各フレーズを生き生きと自然に、かつ多彩な艶のある表情と壮大なスケール感を以て歌って行くのだから、こちら聴き手は息を呑んで聞き惚れるばかりだ。
 とりわけ第2楽章と第3楽章は、見事な緊迫のソロだった。

 それに加え、彼女の演奏に呼応する阪哲朗と山響の気合が、これまた何とも凄まじかったのである。今日はこのシベリウスのコンチェルトに、私は圧倒された。

 すべて好天に恵まれた4日間、4つのオーケストラは全て晴れやかな印象を恵んでくれた。7時31分の「つばさ」で帰京。夜の東京は強い雨になっていた。タクシーに乗ろうと八重洲口の乗り場へ向かったら、恐ろしい長蛇の列。それではと反対側の丸の内口の乗り場に行くと、こちらは何と待ち客が1人も居らず、タクシー群が人待ち顔。

2021・11・20(土)みちのくオーケストラ巡礼記第3日 群馬交響楽団

      高崎芸術劇場 大劇場  4時

 仙台駅を午後0時31分の「はやぶさ」で発ち、次の駅の大宮で「はくたか」に乗り換え、次の駅の高崎に2時14分に着く。大回りのコースだがこれは速い。どちらの新幹線もぎっしり満席だ。家族連れも多い。もうほとんど日常の生活が戻って来たようにも見える。

 今日は群馬交響楽団。1945年、終戦直後に創立された「高崎市民オーケストラ」を前身とする、映画「ここに泉あり」で有名な楽団だ。現在のシェフはミュージック・アドバイザーの小林研一郎。ただし今日の客演指揮は、井上道義である。コンサートマスターは伊藤文乃。

 一昨年秋に竣工した「高崎芸術劇場」の中にある大ホールに拠点を移したことは、この群響にとって大きな転換期となったことだろう。以前の音楽堂では不可能だった超大編成の作品をも楽々と響かせることができるようになったからだ。
 今日のプログラムに含まれている石井真木の「モノ・プリズム」のような、巨大な和太鼓群が咆哮怒号する作品は、大ホールでなければとても演奏できないものだろう。

 プログラムの前半には、伊福部昭の「日本狂詩曲」と、矢代秋雄の「交響曲」が組まれていた。すこぶる意欲的な選曲で、群響の並々ならぬ姿勢が窺われるが、どれも編成が大きい上に大変な数の打楽器を必要とするため、制作費は猛烈にかかるだろう。そう度々できる企画ではあるまい。

 井上道義は、例の踊るような派手な指揮で、この日本の3作品を愉しく、充実感豊かに聴かせてくれた。
 伊福部昭の出世作「日本狂詩曲」は、所謂伊福部節が果てしなく続く独特の世界だが、しかし今日の演奏は、ちょっと賑やか過ぎたような気がしないでもなく、この曲の良さはもう少し鄙びた味の部分にあるのではないか、とも思われる。

 一方、矢代秋雄の「交響曲」は、周知の如く「日本フィルシリーズ」の第1作に当たる1958年の作品であり、演奏回数も比較的多い部類に属するだろう。現代の優れたオーケストラの演奏で再生されると、当時はあまり意識されなかったこの曲の緻密なふくよかさと、壮大な高貴さが見事に伝わって来るように思う。あの頃のわが国の作曲家たちの作品が如何に高度な域に達していたか、改めて聴くたびにその驚きは増すばかりである。もっと広く演奏されて然るべきだろう。
 井上の指揮に群響もよく応えていた。この曲が、今日は最も感動的な音楽であり、魅力的な演奏だったのではないか。それにしても、群響は素晴らしく大きな音を響かせるものだと感嘆する。

 「モノ・プリズム」では、林英哲と「英哲風雲の会」が協演する。一つの大太鼓、三つの中太鼓、七つの小さな締太鼓がステージ上に並び、同じく多数の打楽器陣を擁したオーケストラと激しく呼応する、何とも物凄い大音響の作品である。林英哲を含め、7人の奏者が出演した。
 大太鼓のみはステージの奥に設置され、その他はステージ前面に並ぶ。日本の大気の中では、洋楽器よりも和楽器の方が鳴りがいいという特性があるので、これらの太皷群が一斉に響きはじめると、オーケストラの音は完全に吹っ飛んでしまう。主役は完全に和太鼓群となった。林英哲が相変わらず健在なのは嬉しい限りである。

 なお今回は照明演出も加わり、曲の中頃で英哲を含む2人が大太鼓を打ち続ける長い個所では、ステージを暗くして大太鼓のみに光を当て、その大太鼓の向こう側にいる奏者をシルエットで浮かび上がらせるという趣向も折り込まれていて、視覚的な迫力をいっそう増していた。

 この曲の演奏を聴きながら、1976年12月に小澤征爾指揮の新日本フィルと鬼太鼓座により東京文化会館で行われたこの曲の日本初演を、FM東京の番組で収録放送した時のことを思い出した。あの時は、大太鼓はたしかステージ前面中央に置かれていたような記憶がある。従って物凄さは今日の数倍以上だったはず。しかし、そんな大音響を当時のワンポイント録音システムでよく収録できたものだと、今は信じられぬ思いである。

 5時50分終演。「はくたか」でまた大宮に戻り、7時41分の「つばさ」で山形へ向かう。10時前に山形着。こちらは猛烈に冷える。

2021・11・19(金)みちのくオーケストラ巡礼記第2日 仙台フィル

     日立システムズホール仙台・コンサートホール  7時

 札幌からJRの急行「北斗」と新幹線の「はやぶさ」とを乗り継ぎ、前者は約3時間半、後者は約2時間40分、待ち時間を含め総計7時間(!)をかけて仙台に到着。それでも現在のところ、これが地上便としては最も速い移動手段のようだ。

 時間のかかる鉄道をわざわざ選んだのは、車窓から道南と本州北端の自然美を鑑賞したかったがゆえである。このコースは今年夏にも一度体験しているが、あの時は北海道の「緑」の量感の美に圧倒され、感動したものだった。今回は、すでに冬景色に入った寂しい雨模様の道南と本州北端の旅である。これはこれで不思議な郷愁をそそる。

 長い長い青函トンネルを抜けて本州の大地に浮かび上がった瞬間、ある札幌の知人が「北海道と青森では樹の形態が違う」と言っていたことを思い出した。なるほど、そうなのかもしれない、と窓外の景色を見ながら考える。だがそれにしても、この曇り空の下の北の光景の、何という静寂、森閑とした無人の畑と林、凄まじい寂寥感。これは東海道新幹線や山陽新幹線はもちろん、他の新幹線からも絶対見られない光景だろう。日本も広いものだ、と改めて感動する。

 さて、肝心の音楽のほう。今日聴いたのは、1973年創立の仙台フィルハーモニー管弦楽団である。常任指揮者は飯守泰次郎だが、彼は2023年3月を以って退任し、そのあとは現レジデント・コンダクターの高関健がポストを引き継ぐことが発表されている。

 ただし今日の定期の指揮者は、客演の鈴木雅明だ。プログラムはメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」序曲、モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第3番」(ソリストは北田千尋)、ベートーヴェンの「英雄交響曲」というもの。
 最近の鈴木雅明の尖った刺激的なアプローチの指揮と、それに仙台フィルがどのように反応するかが興味津々だったため、これを選んで聴きに来たのだった。コンサートマスターは西本幸弘。

 予想通り、最初の「夏の夜の夢」序曲からして、通常の演奏とは一味も二味も違う。夢幻的な妖精の舞というよりは、氷の世界を強面の妖精が荒々しく飛び回るといった雰囲気の音楽か。最強奏の個所など、びっくりするような鋭い攻撃的な音になる。
 とはいえ、⒓型編成で対抗配置されたノン・ヴィブラート奏法による弦の尖った躍動が、両翼の空間に弱音で軽く拡がって行くさまは、やはり形容し難い幻想的な響きには違いない。このホールのアコースティックは、こういう編成のオケの、こういう響きにどうやら合うらしい。
 なおティンパニは、まるで板を叩くようなおそろしく硬い音だが、聞くところによると、さる往年の有名人が所持していた、かなり由緒のある年代物なのだそうな。

 一方、モーツァルトのコンチェルトにオーケストラの音は、鈴木雅明のスタイルの中でも最も抵抗なく共感を以って受け入れられる類のものだろう。北田千尋の明るく率直なソロとの組合せは、今日の3曲の中では最も心穏やかに聴ける演奏であった。彼女がアンコールとして、ヴィオラ首席の井野邉大輔と演奏した二重奏曲(アレッサンドロ・ロッラの「ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲」第3番第3楽章の編曲版)も爽やかで美しい。

 鈴木雅明の指揮する「英雄交響曲」は、以前にも新日本フィルとの演奏で聴いたことがあった(→2021年7月9日)。
 第1楽章はまさにスコアに指定されている通りの「アレグロ・コン・ブリオ」そのものの演奏である。たたかうベートーヴェン、といった趣だろう。ここでも弦楽器群の細かい粒立った動きが両翼に、空間性豊かに拡がる。対抗配置のヴァイオリン群は、見事にその効果を発揮していた。

 第2楽章、ミノーレに戻ったあとのホルンの雄大なモティーフは、スコアでは1本で吹くことになっているが、今日はアシスタントを入れた4人で一斉に吹かせていたものらしく、壮大な挽歌となって響いていた。
 ティンパニの硬い音は前述のとおり個性的だったが、たった1ヵ所、第2楽章終り近く、ティンパニだけが最弱音で一つの音を叩く個所だけは、その音質の点から言って、何とも締まりのない音になってしまっていた。
 第4楽章冒頭の主題提示の個所は、以前の新日本フィルとの演奏と同様、実に個性的で、鈴木雅明のアイディアの本領発揮というところだろう。ここは面白い。

 というわけで、仙台フィルも活気に燃え立つ演奏━━コン・ブリオの演奏を聴かせてくれたわけだが、気になったのは、快速テンポによるノン・ヴィブラートの弦のアンサンブルが何故かしばしば合わなくなる(少なくともそのように聞こえてしまう)こと。
 これが第1楽章をはじめ、快速楽章で度々起こるのには微苦笑させられたが、しかし不思議なことに、それがまた演奏の響きに膨らみと拡がりのイメージを持たせていたのだから面白い。多分、明日の演奏(2日目の公演)では、もう少し異なった演奏になるかもしれない。

 久しぶりに訪れた日立システムズホールは、ホワイエもレストランも付属のホールも、改装を経て見違えるほど綺麗になっていた。オケの事務局の某氏によると、「一番綺麗になったのはトイレですよ」とのこと。見に行ってみると、なるほど、おっしゃる通り。

2021・11・18(木)みちのくオーケストラ巡礼記第1日 札幌交響楽団

      札幌文化芸術劇場hitaru  7時

 札幌は「みちのく」ではないだろうけれども、東京以北のプロ・オーケストラをそれぞれのホームグラウンドで4日間にまとめて聴けるというスケジュールが運良くまとまったので、実行に移した次第。

 たった4日間で━━言い換えれば、「日本オーケストラ連盟」に所属する正会員25団体と準会員13団体のうち、東京を除くそれ以北(埼玉県以北)の正会員のプロ・オーケストラは、4団体しかないということなのだ。準会員に至っては、1団体も無いのである。これは、静岡以西の正会員11団体、準会員9団体に比べると、何とも寂しい限りだ。わが国のオーケストラ界は、やはり「西高東低」なのだということを実感せざるを得ないだろう。

 だが見方を変えれば、これら東京以北のオーケストラがどんなに茨の道を歩み、頑張って来たかを実証していることにもなるだろう。その努力は今や立派に実って、これから聴こうとしている━━もちろん今までにもたびたび聴いているけれども━━4楽団の演奏水準は、「西」の各楽団に比べて負けず劣らず高い。

 さて、まずは今年ちょうど創立60周年を迎えている札幌交響楽団。
 首席指揮者にマティアス・バーメルトを擁するこの札響は、来年4月からは正指揮者に川瀬賢太郎を迎える。現・指揮者の松本宗利音は任期終了の由。また現在のコンサートマスターは田島高宏だが、4月より会田莉凡(あいだ・りぼん)が加わる。

 今日は友情客演指揮者の広上淳一(4月からは「友情指揮者」という肩書になる由)が指揮。外山雄三の「ノールショピング交響楽団のためのプレリュード」、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」(ソリストは外村理紗)、ドヴォルジャークの「交響曲第8番」を演奏した。
 コンサートマスターは客演の森下幸路。ただし、私の席の位置からは確認できなかったが、田島高宏も実は乗っていて、トップサイドに座っていたそうだ(その理由はよく解らない)。

 外山雄三の作品は、広上淳一が1991年にスウェーデンのノールショピング響に首席指揮者として迎えられた際、お披露目演奏会のために作曲されたものの由で、大編成の管弦楽による10分ほどの作品だ。日本の民謡が素材になっているものの、あの「管弦楽のためのラプソディ」のように民謡があからさまにメドレーで奏される類のものではない。もっとも、終り近くに富山の「こきりこ節」が打物陣を交えて軽やかに登場するくだりでは、やはり出たか、とニヤリとさせられるけれど。

 この「hitaru」(ヒタルと呼称する)は、時計台のすぐ近くに数年前に竣工したホールだが、オペラ上演はこれまでにも2、3回観に来たことはあるものの、オーケストラ単独の演奏会は今回初めて聴く。
 多目的な劇場ゆえに残響は少なく、あの素晴らしいホールkitaraで聴く札響とはかなり印象が違う。今回聴いた席(1階25列やや下手寄り)の所為かもしれないが、オーケストラが何かガリガリと演奏しているような音に感じられてしまうのだ。
 またこの席で聴くと、上手側に配置されているコントラバス群の音が全く響いて来ない。これはもしかしたら、袖に大きな隙間がある反響板の形態のためもあるのではないか?

 だが、そうした音響の中にあっても、ドヴォルジャークの「第8交響曲」での、強靱でありながらも柔軟な、過剰にならない哀愁の美しさを湛えた情感豊かな演奏は、広上淳一の卓越した指揮と、現在の札響の実力を最良の形で発揮した快演といっていいだろう。
 第1楽章の前半にはやや力みと硬さが残っていたようにも感じられたが、第2楽章の沈潜、第3楽章の民謡的な哀愁美など、実に快い演奏だった。

 第4楽章での例の「コガネムシ」や「ドライボーンズ」そっくりの愉快な個所での広上の踊るような指揮ぶりには吹き出しそうになったが、終演後の楽屋で彼は「それ、それよ、まさにそういう性格の音楽なのよ、あそこは」と、狙いが当たったとばかりの表情。
 今日の演奏ではトランペットが強力で、胸のすくような演奏を聴かせ、その他の楽器群も快調そのもの。札響の好調さを堪能させてくれた。これ1曲の演奏だけとっても、遠路遥々聴きに来た甲斐があったというものである。

2021・11・16(火)DOTオペラ公演 ヴェルディ:「アイーダ」

     ミューザ川崎シンフォニーホール  5時30分

 「DOT」とは、この公演のプロデューサー3人━━今日アイーダを歌った百々(ドド)あずさ、コレペティトゥールの小埜寺美樹、アムネリスを歌った鳥木弥生の3人からなるチームのことのようである。

 つまりこれは、熱心な音楽家たちによる自主制作オペラともいうべきもので、その意気は称賛されていい。ミューザ川崎のような大きな会場でそれをやるというのは、集客力からみても些か冒険ではないかと思われるのだが、それにもかかわらず衣装付きのセミステージ形式上演で中央突破を図るからには、それなりの裏付けがあってのことなのだろう。

 指揮は佐藤光、演出と振付が山口将太朗。小編成の管弦楽は「アイーダ凱旋オーケストラ」(コンサートマスター後藤龍伸)、合唱はCoro trionfo。
 キャストは、百々あずさ(アイーダ)、村上敏明(ラダメス)、鳥木弥生(アムネリス)、高橋洋介(アモナズロ)、松中哲平(エジプト国王)、伊藤貴之(ランフィス)、やまもとかよ(巫女)、所谷直生(伝令)という顔ぶれ。またダンサーは5人がクレジットされていて、原作のバレエ場面のほかに、ラストシーンの地下墓場の場面での幻想的な動きをも受け持っている。

 アイーダ・トランペットは2階席両側に各2本ずつ配置されて、これは立派な演奏をしてくれた。
 本隊のオーケストラはステージ中央に位置し、小編成の弦と、他にティンパニとピアノとシンセサイザーという編成。つまり管楽器パートが概してピアノで演奏されるという編曲が施されているわけで━━苦心してリダクションしたであろう編曲者には失礼ながら、これはピアノ・リハーサルならそれなりに割り切って聴けようが、弦とピアノが同時に鳴るというのは、少しでも原曲を知っている聴き手にとってはいかにも不自然な音色で、違和感満載というところだ。

 バックステージでのバンダはシンセサイザーで代用され、これはまあアイディアだろう。合唱はオルガン下の客席とその両翼客席に分かれて配置されていて、東響コーラスのメンバーがメインだそうだが、かなり多い人数の割には、音量は小さい。

 ソロ歌手陣は、一部を除いて技術的にも安定した歌唱を聴かせてくれた。特に村上敏明が力強い直線的な声で若き勇士の性格を率直に描き、また鳥木弥生も聴かせどころの第4幕「苦悩するアムネリス」を滋味豊かに表現していた。伊藤貴之の威圧感にあふれたランフィスも見事な存在感であったろう。高橋洋介のアモナズロ王もいい。題名役の百々あずさは、声のパワーはなかなかのものだが、力任せに歌うという印象は拭えず、もう少し丁寧な歌い方を望みたいところだ。

 なお、演技空間はオーケストラの周囲に設定されていたが、かんじんの演出の方は旧態依然のスタイルで、演技も全くの類型的な身振りというレベルにとどまっていた。8時半終演。

 「アイーダ」のナマは3年ぶり。久しぶりに聴くと、やはりいいオペラだ。やはり素晴らしい音楽である。聴きながら、このオペラの音楽に身も心も浸りこんだ第3回イタリアオペラ来日時の、落成して間もない東京文化会館でマリオ・デル・モナコとジュリエッタ・シミオナートが繰り広げた息詰まる対決の熱唱を思い出した。あれは、ちょうど60年前。

2021・11・14(日)沼尻竜典指揮NHK交響楽団

      東京芸術劇場 コンサートホール  2時

 出演が予定されていた次期首席指揮者ファビオ・ルイージは、コロナ感染対策待機期間の都合で間に合わなかったため、沼尻竜典が急遽登板して、予定のプログラム━━ウェーバーの「魔弾の射手」序曲、リストの「ピアノ協奏曲第2番」(ソリストはアレッサンドロ・タヴェルナ)、フランツ・シュミットの「交響曲第2番」を指揮した。コンサートマスターは伊藤亮太郎。

 私のお目当ては、やはりフランツ・シュミットだ。先日、日本フィルが「第4交響曲」を取り上げ、今日はN響が「2番」を演奏する。日本では滅多にプログラムに登場しない作曲家なのに、かち合う時には妙にかち合うという通例がこの業界にはある。

 そして今日はN響が持ち前の質量に物言わせ、凄まじいばかりの怒号咆哮を以て、この50分近い長さの大交響曲の演奏をやってのけた。
 沼尻の日頃のスタイルから言えば、もう少し細部の管弦楽法を重視して分析的なアプローチを試み、冷静さを失わぬ演奏になるだろうと思えるのだが、今日はN響の炸裂を利用したのか、それとも任せたか。
 あまりに猛烈な演奏なので、聴いている此方が作品の道筋を見失いかけるところもあったが、まあしかし、しんねりむっつりとこの曲をやられるよりは、マシだったかもしれぬ。

 「魔弾の射手」序曲での演奏は、やや無造作で、指揮者とオケの相性に些か疑問を生じさせたのが正直な印象。
 リストの協奏曲は、私が予想していたほど豪快な演奏ではなかったが、タヴェルナはソロ・アンコールに入ってから突然爆発した。演奏したのはフリードリヒ・グルダの「弾け、ピアノよ、弾け 練習曲第6番」という曲だそうだが、ラグタイム風のリズムを持った、えらく賑やかな音楽だった。

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